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二郎神君の靴(七)


 

 郎神君に斬りつけたのは霊済宮の王道士であった。この王道士は帝の師匠にあたる林真人の直弟子で、その法力の強大さは有名であった。二郎神君はその一撃をひらりとかわした。そして、
「無礼ではないか!」
 と一喝しざま、手にした弾き弓を王道士に向けて発射した。弾(たま)は見事にその額に命中したからたまらない。王道士は剣を取り落として倒れ込んだ。額からは血が流れていた。二郎神君はそのまま窓を蹴破って飛び出した。後を追った家人が外に出た時には、その姿はかき消すように見えなくなっていた。
 楊太尉の邸は大騒ぎになった。太尉が妖怪退治のために呼び寄せた帝ゆかりの道士が、あろうことか妖怪に撃退されてしまったのである。けがの応急処置を施すと、心付けをたっぷり握らせて霊済宮へ引き取らせた。この騒ぎを見つめながら、韓夫人がつぶやいた。
「やはり、あの方は本物の神君様だわ」
 すると、楊太尉が言った。
「神どころかあれこそ悪鬼です。今度こそ、必ず調伏してみせます」
 翌日、五岳観の潘(はん)道士が呼ばれた。この人は五雷天心正法という降魔の術の使い手で、妖怪の調伏に長けていた。楊太尉から説明を受けた潘道士は、
「では、西園へ案内していただきましょうか。そやつの現れる場所を見ておきたい。さすれば、人か魔物かわかりましょう」
「なるほど」
 楊太尉の案内で西園に通された潘道士は庭と韓夫人の部屋を見て回った。
「どこから逃げて行ったのですかな」
「あの窓を蹴破って逃げました」
「窓を?」
 それから韓夫人が呼ばれて姿を現した。潘道士はその姿を一目見るなり楊太尉に言った。
「夫人には少しも妖気が漂っておりませぬ。これはどう見ても人間の仕業ですな。となると、ことは簡単です。万全の用意をして待ち構えればそれでよし。ただ、こちらの手の内を相手に気取られぬようにせねば。しくじれば奴は二度と姿を現さないでしょう。みすみす相手を取り逃がす羽目になりますぞ」
「さようですな」
 潘道士の言葉に楊太尉は力強く同意したが、内心は相手が二度と現れなくなればそれでいい、と思っていた。

 その夜、韓夫人は二郎神君の出現を今か今かと待ちあぐねていた。昨夜のことがあったため神君がもう二度と来ないのではと気を揉みもした。しかも今日はもっと強そうな道士が招かれたのである。すべてお見通しの神君のことだから、危険を避けるためにも姿を現さないかもしれない。また、こうも考えた。昨夜、道士を撃退した見事な技はこれこそ人ならぬ神仙である証拠ではないか。ああでもない、こうでもない、と考えているところへ、二郎神君が姿を現した。
「ああ、神君様。もうお会いできないと思っておりました。夕べのことはすべて楊太尉が勝手にしたことで、私は一切預かり知らぬことでございます。ご無事でようございました」
 韓夫人は涙を流しながら自分の無実を主張した。二郎神君は笑って言った。
「私は神仙だよ。そなたと因縁があって、こうして結ばれたのだ。いずれそなたは私と一緒に昇天することになっている。下らん人間どもに何ができるというのか。たとえ大軍を率いてきたって、この私に指一本触れることなんてできやしないさ」
 そこへ侍女が酒を運んできた。二郎神君が弾き弓を抱えたまま盃に手を伸ばそうとするのを見て侍女は言った。
「折角ですから上着を脱いでおくつろぎになっては」
 二郎神君はうなずいて弾き弓を寝台に立てかけて上着を脱いで、侍女に差し出した。受け取ろうとした侍女はそれをとり落としてしまった。
「申し訳ありません」
 侍女は慌てて上着を拾い上げると、そのまま出て行った。それと入れ替わりに潘道士がつむじ風のように飛び込んできた。彼は法衣も着ていなければ、宝剣も持っていなかった。ただ、動きやすい服装で手には棍棒を握っていた。その後ろには従者が二人、松明(たいまつ)で辺りを照らしていた。
 潘道士は二郎神君を見据えて、
「おぬし、いささか妖術を心得ているようだな」
 と言うやいなや棍棒を構えて飛びかかった。二郎神君は応戦しようと弾き弓に手を伸ばした。
「くそっ!はかられた!!」
 そこに弾き弓はなかった。楊太尉の命を受けた侍女が上着と一緒に持ち去っていたのである。潘道士の棍棒はうなりを生じて二郎神君に襲いかかった。潘道士の容赦ない攻撃を二郎神君はかろうじてかわすと、窓に体当たりして逃れで出てそのまま姿を消した。
「逃したか」
 後を追った潘道士は、破られた窓の下に何やら落ちているのに気がついた。それは黒い革靴の片方であった。

 

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