二郎神君の靴(八)


 

「まさか、こんなことになってしまうとは。世間に知れたら、それこそとんだ物笑いの種です」
 楊太尉は太師(注:皇帝の補佐役)の蔡京(さいけい)に泣きついた。事の次第を聞いた蔡京はこう言った。
「事は存外、難しくないかもしれぬぞ。それ、賊が残していった靴というのがあるのであろう。それを手掛かりに賊の行方を探すのじゃ。あとは適当に罪状を被せて斬り捨ててしまえばよい」
「して、肝心の韓夫人の方はどういたしましょう?」
「賊がベラベラといらぬことをまくし立てたなら、韓夫人にはかねてよりのご不例によりとでも何とでも理由をつけて始末をつければよい。よし、今すぐにでも滕大尹(とうたいいん)を呼びよせて、賊を捕えるよう命じよう」
 と言うわけで、早速、開封府の長官である滕大尹が召し出された。滕大尹がやって来ると、蔡京と楊太尉は片方だけの黒い革靴を突きつけて言った。
「おそれ多くも天子のお膝元である開封府で、かような賊をのさばらせておくとは。大尹の怠慢、見逃すわけには参らぬ。これは由々しき事件ぞ、謀叛ぞ、大逆ぞ。速やかに捕えるのだ。無闇に騒ぎ立てて、賊をみすみす取り逃がすことのないように」
 いきなり、時の権勢家にこんなことを言われて滕大尹は震え上がり、平蜘蛛のように這いつくばった。
「私の責任で必ず賊を引っ捕えてみせます」
 そう誓うと、革靴を受け取って役所へ戻って行った。

 滕大尹に呼ばれた同心の王観察は詰所に戻ってくるなり、手にした革靴を机の上に放り出した。そして、
「上役はオレ達、下役人を何だと思っていやがる!靴を片方渡すなり、『これが手がかりだ。三日以内に楊府に押し入った賊を捕えろ』だと?ふざけやがって!」
 と言って深くため息をついた。集められた目明かし達はその革靴を順番に回し見ては首を横に振ったり、互いに目を合わせたりしていた。その時、
「こんなの無理でさあ。一体、偉いさん方は何を考えていなさるんでしょう」
 と大声で抗議した者がある。声の主は目明かしの一人で冉貴(ぜんき)という男であった。
「しかしなあ、冉大」
 王観察はこの気に入りの部下を冉大と呼んでいた。
「無理だって言ったからってどうなるものでもないじゃないか。どう申し開きができるってんだ。お前らもここで金を稼いでるからには、無理です、だなんて言えないんだぞ」
 こう言われて目明かし達は口々に抗議した。
「相手は楊府の奥深くに入り込み、手練(てだれ)の道士を相手にこの片方の靴しか残さなかったといいますぞ」
「そのような相手に、我々町方が太刀打ちできるわけない」
「こんな無体な命令、聞けるか」
 目明かし達の言葉を聞いている内に、王観察は泣きたくなってきた。
「まあ、三日で賊を捕えることができなくても、お前達は大丈夫さ。責任はオレがとるから」
 そう言ってがっくりとうなだれた。
「旦那、しっかりなすって下さいよ」
 冉貴が励ました。
「いかに手練だからって、相手は所詮、一人でしょ。絶対、何か手がかりが残ってますって」
 そう言いながら革靴を手に取ると、隅から隅まで眺めた。
「冉大のお得意がまた始まったぜ。捜査は鋭い観察眼からってやつさ。そいつは皮を黒く染めて糸で縫い合わせて、藍色の布で裏打ちしてあるぞ。かなりの上物だ。濡れても型崩れなんてしやしない…」
 目明かし仲間がはやし立てるのを無視して、冉貴はなおも観察を続けた。
 靴は四重に縫ってある、しっかりした作りであった。縫い目を丹念に見ているうちに、爪先部分からわずかに糸が出ていることに気が付いた。指で引っ張ってみると、糸が切れて縫い目が少しばかりほつれた。もっとよく見えるよう灯に近づけると、裏打ちと皮との間から何か白いものがのぞいていた。指を突っ込んで引き出すと、それは一枚の紙切れであった。
 それを見た冉貴はニヤリと笑った。
「旦那、この事件は七分かた解決したようなもんですぜ」

 

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