商いの心得(六)


 

 引先で商談をまとめた張大らが品物を発送しに船に戻ってきた。若虚が嬉しそうに、今日の事を一通り話して聞かせると、
「不思議やなあ。わてら一緒に来たんに、元手のない文先生に先手を取られてしもうたわ」
 と喜んでくれた。特に張大は手を叩いて、
「みんなして先生のことを『倒運(運なし)』言うて呼びよったが、今では『転運(運が向く)』になってきよったわ」
 と褒めそやした。そして若虚に、
「この国ではなあ、ええ物を仕入れるには物々交換が一番なんや。独自の貨幣制度を持っとるからな。絹三反に龍鳳銀貨一枚なんてことになったら、えらい大損や。銀貨をぎょうさんせしめよう思うたら、食べ物がええんやけどなあ、これも時機ってもんがあるやろ。天候が悪うて着くまでに時間がかかったら腐っておしまいや。文先生はあらゆる点で運がえかったわ。所謂ビギナーズラックやな。さて、その銀貨どないしよか。ここで何か仕入れるには足らんしなあ。ここにある中国の品物と少しばかり交換してここの珍しいものを仕入れれば、結構な儲けになるんちゃうか」
 と教えてくれた。若虚が言うには、
「わては運のない男やさかい、一儲けしよう思うてもいつも元手まですってしまいます。この度は皆さんにここまで連れて来てもろて、元手なしの商いでえらいええ目を見せてもらいました。これ以上儲けよう思うたら神さんのバチが当たりますわ。また、元手をするなんてことになったら、二度と『洞庭紅』のようなええ商いには巡り合えんようなりますわ」
 と大層慎重である。皆は、
「わてらが要るのは銀貨やし、持っとるのは品物や。お互いに融通し合えば、それこそギヴアンドテイクやわ」
「蛇に一度噛まれたら、三年間は縄まで怖い言います。わては損ばかりしとるんで、品物いうて聞いただけで肝が縮む思いですわ。やっぱり、この銀貨を持っておとなしく帰ることにしますわ」
 若虚の答えを聞いて皆は、
「惜しいなあ、何倍にもなる儲けを見逃すなんて。ほんま、惜しいわあ」
 と頻りに残念がった。
 それから半月ばかり、船は港に留まった。この間、若虚はあれこれ珍しい品物を目にしたが、心底、今の状況に満足しきっていたので、眺めるだけで終わった。
 皆の取引が終わると、海神に捧げ物をして航海の安全を祈願し、酒を飲んで出航した。始めの数日は天候に恵まれ、航海は順調であった。
「福建の港に着いたら、ぎょうさん儲けられるで」
 と皆で言い合っていると、突然黒雲が沸き起こり、みるみる空を覆い始めた。どうやら嵐が近付いているようである。
 空はあっと言う間に夜のように暗くなり、穏やかであった風が急に激しく吹きつけ始め、船はものすごいスピードで流され出した。この暴風、適度ということを知らないかのように容赦なく吹き荒れ、船は木の葉のようにきりきり舞いをさせられた。海面は沸き立つ鍋の中と化し、船内は米を篩(ふるい)にかけたよう。人も物も米を撒き散らしたようにあちらへゴロリ、こちらへバラリと収拾のつかない騒ぎである。船頭達は風が起こったのを見ると、帆を半分下ろして方向などには構わず、船を風に任せて漂わせることにした。
 一体、どの位流された頃だろう。風が徐々に穏やかになり、雲の切れ目から青空が覗き出した。船酔いでゲッソリしている一同の耳に、見張りの声が響いた。
「島やっ!島が見えるでぇ」
 一同、甲板に集まると、船頭の指す方向を熱心に見つめた。

 

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