商いの心得(八)


 

 虚が船の側まで戻ると、皆は甲板に出てゴロゴロと寝転がっていた。若虚が何か引きずっているのに気付いた一人が笑って、
「文先生がまた、何や引っ張って来たで」
 と囃(はや)し立てた。
「まあ、聞いとくれや。これはわての見つけた海外の土産ですわ」
 皆、起き上がると何だ何だと船縁に集まって来た。
「ひゃあ、こりゃ大きい甲羅やなあ。先生、どないするんや?」
「珍しい思うたから、持って来たんや」
 この答えに皆は
「へええ、金になるもんは一つも買わんで、こないなもん持って来て。何の役に立つんかいな」
 と笑い合ったが、中の一人が言った。
「いやいや、役に立つかもしれんで。そやな、何やえらい心配な時にこれで占えばええわ。こないに大きいと薬にもならんしな」
 別の一人は、
「そうでもないで。医者は亀の膏(あぶら)を煎じる言うやろ。これを細く砕いてみい、ぎょうさんになるわ」
 などと言う。
 若虚は、
「役に立つ立たんは別として、珍しいし、ただやから持って帰るまでやわ」
 と言って、船頭に手伝ってもらって船室へ運び込んだ。狭い船室に置いたせいか丘の上で見た時よりも大きく見えた。皆はなおも笑って、
「家に戻って人にきかれたら、先生は亀商売(注:妻に淫売をさせること)でごっつう儲けた言うたろうで」
 とからかうのだが、若虚は、
「そないにからかわんといて下さい。何かしら使い道があるはずですわ」
 と至って平気な様子。むしろ少し得意気なくらいである。水で甲羅の内側を綺麗に洗い、布で水気を拭い取った。それから儲けた銀貨と荷物を詰め込んで二本の縄で括ると、立派な皮箱のようである。若虚がニッコリ笑って、
「早速、役に立ったやありまへんか」
 と言ったので、皆はどっと笑い出した。
「こりゃあええわ。さすがは文先生や、頭ええなあ」
 翌日、船の整備も済み、風も穏やかになったので出帆した。天候に恵まれ、数日も経たない内に賑やかな港に着いた。福建であった。ようやく中国に戻ったのである。
 船を停泊させると、来航する商人との取引を専門にする仲買人がドヤドヤと詰めかけた。やれ張さんだ、やれ李さんだ、と引っ張り合いでものすごい喧騒。皆はそれぞれ顔見知りの仲買人のもとへ招かれて上陸して行った。若虚も張大に連れられて、とある一軒の商店へと向かったのであった。
 それは波斯(ペルシャ)商人の経営する店であった。皆が客間に通されると、そこにはもてなしの準備が整っていた。主人の波斯人が船の入港を聞いて用意させたものである。張大が若虚に、
「この店の主人はなあ、波斯の人で中国名を瑪宝哈(ばほうこう)はん言うてなあ、一番のお得意や。本名はマフムードやなんや言うとったわ。ごっつい金持ちでなあ、資産がなんぼあるかはっきり知っとる人がおらんくらいや。一説には何万両言う人もおるが、わてが思うにもっとあるはずや…。ああ、出てきた」
 と話している内に件の波斯人が出てきた。波斯人と聞いていたので、どのような恰好で出てくるのか楽しみにしていた若虚は少しガッカリした。服装も髪型も中国人と同じなのである。しかし、眉を剃り、髭を切り揃えた彫りの深い顔は中国人には見られないものであった。
(いやあ、バタ臭い顔しとるなあ。張大はんもかなり濃い顔しとる思うたが、こう比べてみるとあっさり見えるわ)
 と若虚も些か驚いた。

 

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