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商いの心得(十一)


 

 虚は瑪宝哈が笑い出したのを見て、しまった、と思った。思えば元手なしに拾ってきた亀の甲羅である。その売値を一万などと言い出せば誰でも笑うに決まっている。かかなくてもいい恥をかいてしまった…。若虚は恥ずかしさのあまり顔を赤らめた。
「あ、あのう…」
「いやあ、こりゃ、すまんかったのう。あまりにもおかしかったけん、大笑いしてしもうた。あんた、ほんまはワシに売りとうないんじゃろう。そんな安う言うんじゃけんのう」
 瑪宝哈の言葉に一同、ポカンとしてしまった。一万でも安いだなんて。皆は若虚を部屋の隅へ引っ張って行った。
「文先生よ、これはどえらいことになったで。わてらにはさっぱり値段の見当がつかへん。こうなったら、思いっ切り吹っかけてみいや。あとは相手の出方を見るしかないわな」
 そう言われても、若虚は恥ずかしがって中々値段を切り出すことが出来ない。それを見て皆、傍らから盛んに、
「おとなしくしとったらあかんで」
 とエールを送ってきた。瑪宝哈も一緒になって、
「で、なんぼじゃろうか?」
 と催促してくる。若虚はやけくそになって突き出した拳を開いた。五万の意味である。瑪宝哈はそれを見ても首を横に振っている。
「いかんのう。こんな話、聞いたことないわ」
 そして、張大を呼び寄せて言った。
「あんた方は何遍も海外に出かけとるんじゃろ。特にあんたは張識貨(目利きの張さん)とまで呼ばれとるお人じゃ。きっと、あの品の来歴を知っとるんじゃろ。もしかして売る気がないんじゃなかろうか。もしくはワシの商いを零細や思うてからかっとるんじゃろう」
 張大は包み隠さず品物の来歴を説明した。
「正直なところ、こん人はわての親友ですわ。物見遊山のつもりでわてらの商いについて来たんです。よってに、何の取引もしよりまへん。例の品はたまたま風待ちで立ち寄った島で見つけた物ですわ。つまりは元手なしいうことです。まあ、値段言われても付けようがないんですわ。五万両も払うてやってくれたら、あん人も一生食うに困らんで済みます」
 瑪宝哈は張大の答えに大きく頷いた。
「そうじゃったんか。なら、あんたに筆頭保証人になってもらおうかのう、お礼ははずむけん。後でもめたら大変じゃけんのう」
 そう言うと、丁稚(でっち)を呼んで筆記用具の用意をさせた。証書用の紙を二つ折りにして、張大に筆を渡して言った。
「お手数じゃけんど、あんたに保証人になってもろて契約書を書いてもらいましょ。そうすりゃ、取引成立じゃ」
 張大は一緒に来た連中の中の一人を指さした。
「こん人は楮中頴(ちょちゅうえい)はん言うてな、字書くんがうまいんや」
 そう言って紙と筆を渡した。楮中頴は墨をたっぷり磨ると紙を広げた。準備万端整うと、徐ろに筆を振るった。若虚の今後の人生を決める契約書がスラスラとしたためられていった。
「よっしゃ、一通できたで」
 楮中頴が一同に振り向いた。
「文面が合うとるか読んでみいや」
 言われて皆が読むと、こう書かれていた。

契約書 保証人張乗運等

 ここに蘇州の客人文実、海外より大亀の甲羅一個を持参し、波斯人瑪宝哈の店に投じ、銀五万両にて売買することを願う。契約成立の暁には一方は商品を引き渡し、一方は銀を引き渡す。各自翻意なきよう。もし翻意する者あらば、罰として契約せる値に一割を加算す。この契約書を証明とする。

 ちなみに張乗運は張大の、文実は若虚の本名である。同じものをもう一通作成すると、それぞれの末尾に今日の日付を入れた。それに続けて張乗運を筆頭に居合わせた十人が署名した。楮中頴が最後に署名すると、日付の前の空いてる所で二枚の契約書を合わせて、その合わせ目部分に「合同議約」と記した。割印と同じである。その下に「客人文実、主人瑪宝哈」と署名してそれぞれ花押(かおう)を書いた。下に続けて張大から順に皆が花押を書いた。つまりはこの契約書は二通揃って初めて効力があるというわけ。張大が筆を執って言った。
「わてらの花押は高うつくで。これがないと取引が成立しいへんからなあ」
 もちろん冗談である。瑪宝哈が笑いながら答えた。
「もちろん、はずみますけん」
 皆の花押が済むと、瑪宝哈は奥へ入り、まず銀を一箱担いで出てきた。
「まず、手数料を払いますけん」
 皆が箱の側に集まるのを待って、瑪宝哈は箱の蓋を開けた。中には五十両の包みが二十包み、全部で一千両入っていた。

 

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