暗殺行(三)


 

 軻が来ることを知った丹は自ら馬車を駆って出迎えた。丹が上座にあたる左側の席を空けると、荊軻は遠慮する風も見せず、垂れ紐をつかんで乗り込んだ。
 荊軻が宮殿の広間に通されると、丹が養っている大勢の剣士や食客が荊軻の到着を待っていた。荊軻は上座を与えられた。
 それぞれ席につくと、荊軻が口を開いた。
「田殿は太子の仁愛をほめたたえ、不世出の器であると申しておりました。その徳行は天にも届かんばかり、美名はあまねく知れ渡っております。私は衛の都を出て燕へ参りましたが、険しい道もつらいとは思わず、また遠いとも感じませんでした。今、太子は新参者の私をまるで恩人のように遇し、花嫁のような慎ましさで接して下さる。だから、私もあえて遠慮しませんでした。これも士は己を知る者には全幅の信頼を置くがゆえです」
 丹はふと気づいたようにたずねた。
「田光先生はどうしていらっしゃらないのでしょう?」
 荊軻が、
「田殿は太子に国事を口外することを疑われたことをに口止めされたことを恥じ、私の目の前で舌噛み切って見事、自尽(じじん)いたしました」
 と答えると、丹は驚愕のあまりその場に坐り込み、すすり泣いた。
「先生のことを疑っていたわけではないのに……。先生に死なれては、私もこの世にはいられない」
 そのまま言葉もなく泣き続けた。
 丹はひとしきり泣いた後、荊軻に手ずから酒を献じた。その時、夏扶(かふ)が進み出て言った。
「それがしは、
『士は郷里の誉れがなければその行いは論じられず、馬は車を牽かせてみなければその良さは決められない』
 と聞き及んでおります。今、荊殿ははるばるここまで来られたが、太子に己の才覚をいかに示すおつもりか?」
 その口調には荊軻を挑発しようという意図が感じ取れた。
 荊軻はそれには乗らず、穏やかに言った。
「士に世に並ぶもののないほどすぐれた行いがあれば、近隣の誉れがなくともよい。馬に千里の足があれば、わざわざ車を牽かせる必要もあるまい。昔、呂望(りょぼう、周の文王の賢臣太公望のこと)が犬や豚を屠(ほふ)り、魚釣りをしていた折、人々は彼を賤しんでいた。その彼が文王とひとたび出会えば、周の賢臣となったではないか。駿馬(しゅんめ)も塩の車を牽いては駄馬にも劣る。良き調教師に出会ってはじめて千里を駆けるのだ。それでもなお郷里の誉れで人を判断し、車を牽かせて馬を評価しようというのか?」
 夏扶は顔を赤くしてなおも言いつのった。
「どうやって示されるのか!」
 荊軻は答えた。
「太子が始祖召公の跡を継いで善政を敷き、古の三王に比せられ、春秋の五覇と並び称されるような名君となられるよう、微力ながらお助けすることで示すつもりだ。貴公はいかがかな?」
 顔色一つ変えず、その口調はあくまで穏やかであった。
 丹は荊軻に深い敬意を抱いた。荊軻が来たからには、秦の脅威はとこしえに除かれるだろう、丹はそう思った。

 丹は荊軻を丁重に遇し、その意を迎えようと努めた。
 ある日、丹と荊軻が池を眺めていた時のことである。荊軻が面白半分に瓦を池で泳ぐ亀に向かって投げ始めた。すると、丹は黄金を盛った皿を運んで来させた。荊軻は無造作にその黄金を掴んでは亀に投げつけた。すっかり投げ終わると、丹はもう一皿運んで来させた。荊軻はそれを退けた。
「もう結構です。太子の黄金を惜しむのではありませんよ。腕が痛くなっただけです」
 また、丹とともに千里を走る馬に乗って出かけた時のことである。荊軻が、
「千里の馬の肝はこの世で最高の美味だそうですね」
 と言うと、丹は早速その馬を殺した。そして、肝をえぐり、荊軻にすすめた。
 時に秦の将軍、樊於期(はんおき)が燕に亡命してきた。丹は樊於期を華陽台(かようだい)に迎えて宴を催した。余興で丹の寵愛する美人が琴を弾くと、荊軻が賞賛した。
「見事な腕前ですな」
 丹が早速、夜伽(よとぎ)をさせようとすると、荊軻は笑って言った。
「それには及びません。私はただ琴を奏でる美人の双手(そうしゅ)が気に入っただけです」
 丹は美人の手を切り落とし、玉盤に載せて差し出した。
 これら破格の厚遇を、荊軻はすべて当然のように受けた。また、丹もいつも荊軻と一つ食卓で食事をし、一つ寝台で寝ながら、胸に秘めた計画を打ち明けようとしなかった。

 

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