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重陽の約束(三)


 

 事、帰宅を果たした劭に、母は言った。
「出かけたきり何の音沙汰(おとさた)もないから、ひどく心配していたのですよ」
 劭は長い間の無沙汰を詫びた。
「実は私、途中で山陽の范巨卿と知り合い、義兄弟の契りを結んだのです」
「巨卿とはどういうお人なの?」
 劭がつぶさに経緯を語ると、母は喜んだ。
「それはよいことをなされた。お前が信義の人と知り合えたことは、この母にとって功名を得るよりも嬉しいことです」

 光陰矢のごとし、茱萸(かわはじかみ)が色づき、垣根の菊も香り高く、九月九日の重陽の佳節がめぐってきた。
 この日、劭はいつもより早く起き、草堂を掃き清めた。そして、上座に母の席を設け、その傍らに巨卿の席をしつらえた。垣根の菊を摘んで花瓶に挿して香りを添えた。弟の勤を呼んでこの日のために飼っておいた肥えた鶏をつぶし、仕込んでおいた濁酒(だくしゅ)を甕(かめ)から出した。こうしてとぼしい中から心ばかりの酒肴(しゅこう)を整えた。
 母は言った。
「山陽はここから千里も離れているといいますよ。必ず今日着くとも限らないでしょう。おいでになってから仕度をしても遅くはありますまいに」
 劭は首を振った。
「いいえ、母上。巨卿兄上は信義の士です。今日と約束したのですから、絶対、今日、いらっしゃるはず。すでに迎える仕度が整っているのを見れば、私が兄上を心からお待ちしていた証しになります。もし、到着してから仕度を始めたら、私がいやいや兄上をお迎えしていると思われるではありませんか」
 そう言って鶏を料理する手を止めなかった。
 この日は秋空高く晴れ渡り、万里の彼方まで雲一つない。劭は衣冠を調(ととの)え、門に立って楚州の方角を見つめていた。気がつけば昼時になっていたが、待つ人の影は現れない。村はずれで犬が吠えるたびに見に行くのだが、そのたびにがっくりうなだれて戻って来た。
 日はすでに西に沈み、東の空には月がかかっていた。ぼんやりと待ち続ける劭を、弟が呼びに来た。
「兄さん、母さんが戻るようおっしゃっています。もしかしたら、今日はおいでにならないのかもしれませんよ」
 劭は言った。
「どうして今日、巨卿兄上がいらっしゃらないと言える?母上にお伝えしておくれ。兄上がいらっしゃるまで、私は戻りません、と。お前は疲れているだろうから、先にお休み」
 何度も弟が呼びに来たのだが、劭は頑として戻らなかった。

 夜もとっぷりと更け、村のどの家も寝静まった。ただ一人、劭だけは門に坐り込んで、巨卿を待ち続けた。風の音を巨卿と思い、立ち上がるのだが、空に広がる銀河が見えるだけ。時刻はすでに三更(注:夜十二時頃)を回り、月も山の端に姿を消していた。
 きっと道中遅れて今日は来ないのだろう、と諦めかけたその時である。彼方から黒い影がゆらゆらとこちらに向かって来るのが見えた。

 

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